Nike Park

昨日fut!?君から教えてもらったんだけど、ナイキジャパンが総事業費4億5000万円を負担して、渋谷の宮下公園をスポーツパークに大改造しようという計画があるらしい。それでそのパークにはフットサルコート、ジョーダンコート、そしてスケートパークなど有料の施設を建設予定、だとか。

http://www.kanshin.com/keyword/1507089
http://minnanokouenn.blogspot.com/

上記ページにも書かれている通り、「財政の豊かな渋谷区がなぜ区立公園を企業に売る必要があるのか」という疑問があるわけだけど、目的は恐らく公園をねぐらとしている浮浪者の人たちを追い払い、またデモ行進の集会などをさせないことで、「区のイメージを良くする」のが狙いなのではないかと思われる。


そういう欺瞞的な行政と大企業の魂胆に、スケートボーディングが利用されることは残念ではある。


このことで個人的に思い出したのが、ポートランドバーンサイドパークのことである。
ポートランドでも特に治安が悪く、浮浪者や娼婦が住み着いていたようなバーンサイド橋の下で、土地の所有者に無断でスケーター達が勝手に作り上げたスケートパーク。いわばイリーガルに建設されたこのパークは、その後全米のスケーターの注目を集め、スケートボードのメッカ的なパークとまで認められる存在となり、最終的にはポートランド市もこの施設の許可に同意することになる。


バーンサイドパークはスケーターの自主的な行動により獲得したもので、結果的に浮浪者や娼婦だけの場所では無くなり、行政をも認めさせることになったのだが、ナイキパークのやり方はこれとは全く逆の発想なのである。最初に行政と大資本が主導となって浮浪者の人たちを追い払うことを考え、その手段として若者に人気のスポーツに着目し、さらに利用者から金を巻き上げる。そこにスケーター達の生の声は全く存在していないと思う。


というか、さらに質が悪いかもな、と思うのは、ナイキはバーンサイドの実例を知っていてスケートパークを提案したのではないか、ということだ(浮浪者が住み着かなくなった公園の例としてこういうのがありますよ、と。逆の方向からの提案)。そうだとするとスケートボーディングの大きな魅力である「自主性」は大きく歪められ、そのカルチャーは間違った解釈をされるのではないか、という危惧も抱いてしまう。


スケートボーディングは「あらゆる主義からもこぼれおちる」自由なカルチャーだから、逆に資本に利用されやすい面もあると思う。(スケートボーディングの過去は資本主義と反体制の間をずっと揺らぎながら歩んできている)
以前日記にも書いたけど、ディズニーランド系資本がバグダッドスケートボードパークも含まれている大型アミューズメント・パークを建設し、現地に20万枚ものデッキを投入した、という件はスケートボーディングにおける資本主義的な側面の際たるものだろう。
http://d.hatena.ne.jp/h-shark/20080515/1210834353


しかし日本でもバーンサイドパークに通じるやり方で、スケートできる場所を獲得した例がいくつかあるし(駒沢公園とか)、僕はそっちのほうがスケートボーディングの本質的なところだと思うし、何よりも楽しいから、そういう方向で頑張っている人たちを応援したい(いや僕ができることなんて本当微々たるものですが)。だからナイキパークについては、やはり否定的にならざるを得ないな。


しかし渋谷という街はこういうクソみたいなことしか起こらない。


(ナイキライダーであるStefan JanoskiとかOmar Salazarがそこで滑ることもあるのか・・・それは本当複雑すぎるぞ)