Marcel Duchamp & ALIFE

ALIFEがハリウッドにオープンした時、かなり大きいサイズのデュシャンの「泉」を店内に展示した、という話を以前にギャビンから聞いてとても興味深く思っていた。のでウェブで検索してみたら、そのことについて書いているブログがありました。

http://hypebeast.com/2008/12/alife-hollywood-store-opening/


大澤真幸の「ナショナリズムの由来」における序章で、デュシャンと現代美術のことに触れていて、それを読んで以来デュシャンのことは気になっていた。

大澤の本では確か、現代美術は何故消費物や廃墟など「ゴミ」に向かうのか、と問い、デュシャンをそのスタート地点として位置づけていたと思う。デュシャン以前は芸術の世界において神の価値観が確立していたが、それの崩壊と伴うように、芸術はゴミを志向していった、とかなんとか。その価値の転換地点においてデュシャンの「泉」というか「便器」は象徴的に存在していると言えるのだろう。


ポップアートとかポップミュージック、ストリートカルチャー、スケートボーディングにからめてこうしたことを考えると非常に興味深くて、ALIFEが店内に便器を置いたのも「なるほどな〜」と感じたのです。


神の価値観が崩壊している現代においては、ゴミのほうにこそ価値があり、人々にとっては崇拝したくなるような神聖さを帯びた存在である。例えばストリートカルチャー自体もギャラリーなどエスタブリッシュな場が与えられず、路上で見捨てられたような人と行為から生まれる、発生としては「ゴミ」のような存在だったのだが、それがいつしか人々が高額な値段を払って求めるようになり、芸術として美術館で展示されるまでになっている。


ALIFEもまたストリートカルチャー系の商品を高額な値段で売って商売をしているわけだが、以上のことに意識的に店内に便器を置いたのではないかと思われる。


スケートボーディングで言えば、ジュリアン・ストレンジャーなんか非常にデュシャン的なのではないか、と思うのですがいかがでしょう。(フランク・ガーワーみたいなゴミみたいな連中を扱いながら、彼の作品には確実に美しさを体現させる瞬間がある。FUCKTARDSの最後の少年の笑みなど)
あとハーモニー・コリンガンモなんかも思い出しましたが、あれも見捨てられた土地と人の中から美しさを生み出す行為だったのではないかと。


前からデュシャンについてこういう絡みで書きたかったのですが、ALIFE情報に押される感じでさらっと書いてしまいました。あまりゴミゴミ言うと勘違いして気を悪くする人もいるかなぁ、と思って躊躇はしてたのですが。また改めて書きたいです。

http://www.alifenyc.com/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3


おっとギャビンについては以下をご参照
http://cityofinstruments.blogspot.com/
http://d.hatena.ne.jp/h-shark/20081220/1229788661