君はグラントリノをどう観たか。

最近は文化を評する時に「醜悪か洗練か」という基準で接しているんだけど、レンタルで観たグラントリノを今日観て、はてどっちだろな、と思った。レンタルという時点で私の批評眼が既に濁っていることは認めるが。(さらにはブログーで濁度をさらに濾そうという試みなのだから。。。)
カー文化は醜悪じゃん、ていうのが基本的にはあって。車選びとか大の苦手。何をどうやって車を美しいものと認めなければいけないのか。。。
(その辺はサリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライで充分に世の中に対して説明されているはず。あぁ、キャッチャー・イン・ザ・ライなのだよね。所詮私が立っているところは。)
車の速そう、強そう、男らしそう、というフォルムが先ず第一に苦手だ。その3点を誇示したものは「馬鹿じゃないの」と言わざるえない。そして今流通している車の90%がそういうフォルムをしている。(だからやっぱりミニクーパーが一番マシかな、と思うんですが)
あからさまにに「力」の象徴を誇示している有様は、やはり暴力的にも見えるし、暴力を肯定しているような文化はやはり醜悪の部類に属するだろう。


グラントリノを評価するのであれば、イーストウッドは自身がクレイジーであることをわきまえている点だろう。
暴力に「狂わされた」男、そしてそういう男のけじめのつけ方を見せている点が良いと思う(最後は丸腰で適地に向かうわけだから)。


ただ、そういう論理的帰結は白々しい感じもするよね。自分がレズビアンの運動家のような気がしてきた。


全てひっくるめて、現状では科学的、事務的な解決に向かわなければいけないような感じで、果たして我々はいかなる洗練を目撃することができるのだろうか、とため息混じりで考えたりもする。


以上、もちろん酔っ払って書きなぐったものである。