NOTRE MUSIQUE アワーミュージック ジャン=リュック・ゴダール

h-shark2006-07-09

レンタルで出ていたので見てみました。
この映画は3部構成になっている。
残酷な戦争の映像をコラージュした第一部の「王国1 地獄」、サラエヴォで開かれたゴダールの講演「テクストと映像」を聞きにきたオルガという女性の(思考と心と体と視点の)動きを中心に描かれる「王国2 煉獄」、「自死」したオルガの死後の世界である「王国3 天国編」。


オルガが「自死」に至ったのは、イスラエルのある映画館に立てこもり、「イスラエルの人間が平和のために一緒に死んでくれれば嬉しい」と言い、鞄から本を取り出した瞬間に、銃を取り出したと思われ射殺されたためだ。


オルガのキャラクターはロシア出身のユダヤ系フランス人の若い女性ジャーナリストである。サラエボのビルに残る弾痕に涙を流し、「なぜサラエボか?パレスチナのせい、テルアビブのせい。和解が可能な場所を見たかった。」と自問する。


オルガは自分の信念のために死を選ぶ女性である。多分ゴダールの中にはそういう女性に対する憧憬があり、この映画の中ではオルガという女性の形をとって描いたのであろう。しかし、自身の役で出演しているゴダールとオルガの交流は実にそっけない。オルガが編集した作品を収めたDVDを手渡された時も実に事務的だし、オルガが死んだことを聞いた時も別に驚きを見せずに「あぁ、そうか・・・」みたいな感じで淡々と答える。自分で作り出したキャラクターに自分が大げさな演技で応えるのは恥ずかしいし、アホらしいから、なのかもしれないけど・・・。ある意味壮絶な死を遂げる人間を冷静に対応してる。


しかし、ゴダール対オルガの演技は淡々としたものに終わっているに対して、サラエヴォの街を歩き、人々と対話し、様々な感情を顔にあらわすオルガの姿は、すごく美しい。重々しい歴史を背負っているサラエヴォの街の中で、彼女の存在は軽やかに明るく描かれる。そう、物凄くイノセントな存在なのである。「自死」を遂げる女性をそんな風に描いてしまうバランス感覚に感動を覚えてしまった。


ゴダールは昔からそんな独特のバランス感覚を持っていたと思う。やはりその感覚が輝いていたのは60年代の作品で、近年は「豊かな屈折」の中に引きこもってしまっているような気がしていた。しかし、73歳にもなって、いきなり彼は全く新鮮で、過去にも見られなかったような、美しいバランス感覚をこの作品で取り戻しているように見える。正直言って、彼の60年代の作品も2006年の今見てみると「これは現在でも有効だろうか?」と呟いてしまうことがあるのだが、「アワーミュージック」は現状において実にフレッシュな輝きを放ち、確実に私達の心を打つ映画になっている。


はっきりいって僕はサラエヴォの歴史のこと、イスラエルパレスチナの問題も良く知らない。この映画ではそれらのことも含めて、文学や思想の色んな引用があり、僕には分からないことが多い。ただ、オルガを映し出す光の美しさはよく分かるのだ。その美しさは良い夢のことだろう。理解できないことをはっきり認知し、良い方向へ向かっていくことを願うような映画なのではないだろうか。


ただ、「王国3 天国編」の最後、死んだオルガ自身がこう言っている「よく晴れた日だった。遠くまでよく見える。でも、オルガのところまでは見えない」。これはゴダールがオルガに言わせたのであって、自死はできない自分の気持ちなのだろう。そして美しい光に溢れた小川と緑の「天国」は、鉄条網で仕切られた楽園であって米兵が監視している。そこは「豊かな屈折」を経た老人ならではの意地なのでしょうか。