郊外型資本主義の神殿

仕事の関係で豊洲ららぽーとに行ってきた。いわゆる巨大ショッピングモール。月曜日にも関わらずたくさんの人で賑わっていた。不思議なのが観光のように来ている外国人の客が結構見受けられること。ここに入っている店なんてあんたの国でも普通に見れる世界的チェーン店か、都内のデパートのどこでも入ってる店やん、なんでわざわざ豊洲まで?と思う。


とりあえずインテリア関係の店で最近の動向みたいなのを分かったようなよう分からんような感じで見る(シャンデリアの店は個人的に面白かったけど。シンプルモダンみたいなのがお洒落なのはわかるけど変り映えがないからかったるい)。


ABCマートあったのでちょっと嬉しくなってVANS見よーと思って入ってみたら、本格的スケシューが置いてないことに気づく。sk8-hiとかold skoolあるけど(それらも好きだけど)ハーフキャブやロウリーが無い。
ましてやこんな靴なんて・・・(あるわけない)
http://www.abc-mart.net/shop/ProductDetail.aspx?CD=F1000066&WKCD=&sku=4289710001022
渋谷のABCマートではカーディエルの顔写真がポップに使われていたのに・・・


これは多分スケート文化が排除されている、ということでしょうな。郊外型資本主義の象徴であるショッピングモールにおいては。あらゆる商業が複合的に存在し、便利に買い物ができるようでいて、ちゃんとそこには基準というものがある。ここは資本主義の神が住む場所であり、あらゆる商業は神のために用意されたものでなければならない。神が歩くために綺麗に舗装された道や、神を祀るための花が植えられた花壇を、ちっちゃい車輪ごときが汚しては決していけないのである。あんなもんは悪魔の遊びである。考え過ぎか。いや、ロウリーが無いことと巨大なパイプオルガンが何故か置いてあることで勝手に妄想を広げてしまったのである。

(なんでこんなもん置いてあんねん・・・ちょっと不気味やぞ)


ショッピングモールで思い出す映画はデヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリーであるが、あれは彼なりのねじれたディスカバーアメリカで、郊外のコンピューター生産工場やショッピングモールの風景がいずれアメリカ人のアイデンティティーとなるだろう、という当時において「現在」を懐かしがっている、という不思議な映画であった。それは多分現地のアメリカでは現実のものとなりつつあり、今のアメリカ人には当時のショッピングモールがパルテノン神殿のような記憶として残っているのであろう。そしてショッピングモールのような複合商業地帯がどんどんできつつある現在の日本においては、ようやくそういう形の資本主義の神話が始まっている。空疎な、空疎な物語でありますが。


*ヒップホップのファッションは結構こういうとこで揃うよね。ティンバランドトミーヒルフィガー、ラルフローレン、ナイキとか。