思い出

自分の青春時代(^_^;)(特に80年代後半〜90年代前半頃)に盛り上がった音楽は、マンチェスターグランジシューゲイザー、ローファイ、ギターポップといった感じで、なんだか白人寄りな気もするのですが、それはそれで自分的には確かに解放感を感じて楽しんでいました。


その解放感というのは、それ以前の音楽シーンに閉塞感を感じていて、その白人寄りな音楽を価値観が違う新しく「自由な」ものとして捉えていたからだと思います。
それで、それ以前の音楽シーンで流行っていたもので、象徴的なのがワールドミュージックで、つまりは非ロック的、非白人的な音楽がもてはやされていた状況があったわけです。
その時代は思想的にはポストモダニズムが流行しており、多文化主義的に音楽を嗜むのが趣味の良いこととされていたので、権威主義的で前時代的な白人のロックを聴くことは「低脳」扱いされていたと思います。


なんだかそれが自分的には理屈だらけのような気もしてましたし、音楽本来のダイナミズムを果たして体験していらっしゃるのかな?と疑問を感じておりましたので、更には上から説教臭い講釈垂れられるのがうざかったので、白人的低脳音楽が一層解放的に聴こえた、というのもあるかなぁと思います。
「ストゥージズでいいじゃん!」
「広く言えばユーロビートだけど悪い?」


僕らより下の世代になるとリアルにヒップホップを聴いてたり演ってたりして、雰囲気は変わってくるのですが、それが僕より上の世代と仲良かったりすると思う。
これはポストモダニズムの世代にしてみれば、多文化主義の代表的存在として黒人音楽があるわけで、そのフィーリングをリアルに体現している若い子達は論理的に分かるしかわいいんだろうな、と思う。


だから上からは「低脳」扱いされ、下からは多分キモがられ、立場ねぇなぁ、と思うんです。僕らの世代は。楽しかったし、今も楽しいんだけど、白人的低脳音楽。
(まぁもちろんそんなくっきりと音楽の趣向が世代ごとに分かれているわけではなく、僕もワールドミュージックやヒップホップで好きなのがあるわけだけど。特徴的に乱暴に分けてみました。)


なにが言いたいかというとポストモダン的な言説というか状況は強いなぁ、と思う。日本では。(自分もその裏返しとして白人の音楽を聴いてたわけだし)


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その実、白人のロック好きは90年代後半に音響派、ポストロック、モンド、ヒップホップとドラムンベースへの接近、HCFDMと多文化的な表現に移行しており、上の世代とも下の世代ともリンクして音楽シーン全体的にポストモダン的な様相が作り上げられていった。
その後2000年代の表現の方法は、90年代に構築されたデータベースから情報を抽出し、リミックスし、それをまたデータベースに還元し、という繰り返しを続けているようにも思える。つまりポストモダン的状況が肥大し延長させられているのが現状かなぁ、と。(やはり象徴的な表現はモッシュアップになりますか。)
東浩紀にとってのアニメをポップミュージックに移し変えて考えた浅い浅い見解ですが、自分的にはすっきりするところもある。こう考えると。)