蓮實 重彦 「スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護」

h-shark2010-07-19

ワールドカップで盛り上がったついでに、今更ながら未読だった本書に目を通してみたのだが、サッカーについて多く触れているだけでなく、スポーツを起点に文化全体の批評へとフィールドを広げていて、読んでいると脳に心地よい刺激を与えてくれ、思考を活性化させる良書だと思います。つまり楽しい本です。
これが発売されたのが2004年。2006年ワールドカップ・ドイツ大会以前の状況に基づいて書かれているわけだが、本書は現在でも全く有効な批評性を備えていると思うし、これを踏まえて今回の南アフリカ大会と今の日本と世界のサッカーのことなど考えてみるのも面白い。
あとがきで「この「運動の擁護」の「運動」とはいわゆるスポーツとして知られる「運動」に限られたものではありません。この書物は、ありとあらゆる喜ばしい変化に向けて開かれているのです」と書かれているが、この書物の文章自体が、そういう意味で非常に「運動」的なのである。
いわゆるスポーツジャーナリズムと言われる文章って、僕はほとんど退屈で、場合によっては抑圧的にさえ感じるのだが、蓮實氏のスポーツ批評は本当に自由。ある時はスポーツをジョン・フォード黒沢清の「運動」に準えて、ある時は村上春樹島田雅彦をついでにこきおろす。こんな文章がスポーツ新聞に載ってたら楽しいのになぁ、と思うのですが、「喜ばしい変化」を望む蓮實氏ならば案外真剣に連載を狙っていたのでは、とも思うのです。


以下本書から面白かったところをメモ的に。
しかし、カーンだけは絶対許せない。最後にはかならず逃げ出すあの結婚詐欺師め(笑)。


FIFA会長のブラッターについて)出来損ないの「茶坊主」みたいな男なんですが、なんでFIFAの会長にあんな醜悪なスイス人がしゃしゃり出ないといけないのか。


イチローがやっているのも、中田英寿がやっているのも、たんなるスポーツにすぎない。彼らは、それぞれの地で、「スポーツをスポーツする」ことの喜びをからだで表現しており、その身体的な表象能力が圧倒的に優れている。


スポーツはそもそも反民主主義です。神様に愛されたものたちだけが、活躍できるという恩恵にみちた世界です。その活力を社会が吸い取れなかったら、社会が滅びる。文化もそうでしょう。


などなど。今回ワールドカップで活躍した本田や遠藤のことは蓮實氏はどう思っているのかなぁ。
まぁ、そもそも本書の中ではワールドカップに対して「あまり興味がわかない」と否定的なんだけど。
(僕自身はすっかり楽しんでしまったので、今さら否定できない。)