ユリイカ!

ワールドカップ以降、サッカー熱が高ぶっているという「にわか」もいいところの私ですが(だって今回の日本代表はなかなか良い動きをしていたと思いますからねぇ)、熱が高ぶるのは良いものの、どういう風にサッカーの情報を入手すれば良いものか分からず、とりあえず他のカルチャーと同様に先ず雑誌に目を通してみるのが良いのだろう、と思い本屋で何冊かチェックしてみました。


色々と立ち読みしたり、試しに購買してみたりした結果、現在はサッカー・マガジンに落ち着きつつあります。
理由はジャック・ティベールというフランス人ジャーナリストの「新欧州フットボール春秋」というコラムが連載されていて、それが結構読ませるからです。
哲学や芸術を引用しながらサッカーを語るその文体は、時々感情論に流されがちになりながらも、日本のサッカー・ジャーナリズムのそれとは全く違い、自由な発想を感じさせ、サッカーの本質に近くあろうする意志が込められていると思います(今私が書いている文章がひどく不自由なことは置いといてください。今私はゴルフ帰りで大変疲れているのです。それに先ず私にはそんな才能ありません)。


例えば、1306号の「フットボールは終わらない!」と題されたコラムでは、ジジェクの「もしヘーゲルが今日生きていたら、フットボールが生みだす習慣にとても敏感に反応しただろう。これらの習慣を通して人々は自身について、アイデンティティーについて考える」という言葉を引用し、それに続けて「アルゼンチンの心、大衆の心、苦悩と夢を抱いて地上に迷い込んだ人間の心の体現者」として『ロコ(狂人)』の愛称を持つマルティン・パレルモのことを書き綴る。
そして、「われわれは皆、少し、いや、かなりの部分で頭がいかれている。だからパレルモはわれわれにとってのフットボールとなり得るわけだ。」と粋に締められるこのコラムを読んだ後は、パレルモのことを知らなかった「にわか」な私は俄然彼に興味を持つし、よりサッカーのことが好きになるわけである。


欧州にはこういう面白い文章がたくさんあるんだろうなー。そこは羨ましいところです。


あれ、ヘーゲルってサッカー選手じゃなかったっけ?

流石モンティ・パイソン。サッカーの本質である「運動する知性」を笑いに変換していた。