フレデリック・ワイズマン --- チチカット・フォーリーズ、高校 Frederic Wiseman --- Titicut Follies & High School

本日アテネフランセにて鑑賞。


先ず、観客の多さに驚いた。先週「聴覚障害」を観たときは客席の半分ぐらい(アテネフランセの客席は200席ぐらい?)しか埋まってなかったけど、今日は客席の1.5倍ぐらい(?)の人が集まり、席が無い人は通路に座らないといけないぐらいの盛況ぶり(僕は座れましたが)。「聴覚障害」の時は客層もむさいおっさん達が多く、「これはヤクザ映画のような雰囲気だ」と思ったが、今日は若い人が多く、女の子も結構いた、それも一人で来てる様子。春の訪れが感じられる日に、暗い空間の中、女の子が一人で「極道映画」(ある意味)を見て過ごすなんて・・・。東京はすごいところです。


チチカット・フォーリーズは、


マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者のための州立刑務所マサチューセッツ矯正院の日常を克明に描いた作品。収容者が、看守やソーシャル・ワーカー、心理学者たちにどのように取り扱われているかが様々な側面から記録されている。合衆国裁判所で一般上映が禁止された唯一の作品であり、永年に渡る裁判の末、91年にようやく上映が許可された。
(以上アテネフランセのサイトからコピー)

http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/program/wiseman/wisemansakuhin.html



タイトルがカッコ良くて気になっていた作品。バンド名にしたいぐらいですね。いや、そんなことしたらそのバンドは「業」のようなものを背負ってしまうことになるか。


「被写体の了承を得れば、その全てをそのまま撮ってしまう」ワイズマンの極道映画人生のスタートを飾るのにふさわしい内容の映画。
幼女を犯した男の顔も、収容者のチンコも、「俺はイエスキリストだ」と言う男の演説も、精神病者精神科医の会話も、看守の間抜けな歌も、収容者が棺桶に詰められる過程も、全て撮りきってしまう。


オープニングとエンディングを看守達の学芸会(?)でまとめるなど、若干「映画」の体裁を気にしている感もあったのだが、一見ランダムに撮っているようでいてぐいぐい作品の世界にひきこむ手腕は凄い。
もちろん被写体の奇跡的な「動き」によるところも大きく、収容所の広場で「ローマ法王も罪人だ」と断罪する男から逆立ちをして独り言を言う男への流れは「完璧」だった。まぁ、ちょっと敵わない人たちばっかりだからなぁ、奇跡を起こす逸材が勢ぞろいしてますよ。


ワイズマンのドキュメンタリーにはテレビのそれのようにナレーションが被せられることはない。ナレーションを被せなくても画の魅力だけで十分に「伝わる」。テレビのナレーションに慣れている人間には、これが新鮮に思えたりするのだが、この魅力的な画に言葉で説明しても、かえって野暮、というか被写体の輝きをボケさせる恐れがあるだろう。またワイズマンは画の力だけで魅せる要領を心得ているように思えるし、その手法には映画作家としての確信を感じる。


そういう「説明」を嫌うワイズマンの映画には、音楽が後から加えられるということもほとんど無いようで、やはりそれも音楽が画を「説明」することを避けたいからなのかな、と思います。



そういう点で例外的なのが、今日もう一本見た「高校」。


フィラデルフィア郊外にある“模範的な”高校の日常を追っている。朝のホームルーム、授業の風景、生活指導、父母を交えた進路相談、男女別に行われる性教育や家庭科の授業、クラブ活動……。高校を構成する教師、生徒、親、管理職たちの関わり合いの中で、イデオロギーや価値観が醸成され、伝えられていく様が映し出される。
アテネフランセのサイトより)



ここではオープニングの郊外の風景に、オーティスレディングの「シッティング・オン・ザ・ドッグ・オブ・ザ・ベイ」が流れる。「ちょっとベタかな」と思うが、極道のワイズマンだから「あえて」挿入したのだと思われます。その辺の理由はよくわかりません。


また授業の教材でサイモン・アンド・ガーファンクルの「夢の中の世界」を使うのだが、これも後から曲を画に挿入したっぽい。何故だろう・・・


ただ2曲とも叙情的な歌なのですが、ワイズマンの映画に使われると「そんなことは関係ありません」とばかりに画がどんどん進んでいくところが面白い。曲が流れた時に「じーん」とするわけじゃないし。


時代的なことを考えると、ベトナム戦争、ヒッピームーブメント、ケネディ暗殺、マーティン・ルーサー・キング暗殺、と正に激動の時代で、この映画も少なからずそういう世相を反映しているのが興味深いです。教師側の旧体制的な考えと生徒の進歩的な考えが対立している模様も伺えたり。
ただ、見終わった後は、なんだかボンヤリとした生徒だったなぁ、という印象が強く、それがまたリアルに感じたりします。そういう世相的なことよりも、生徒の進学について三者面談する時に、教師が父親に「大学に行かせる場合、年にどれぐらい払えますか?それによって進学する大学は変わります」と質問して、父親が少し困惑して具体的な金額を言う場面とかのほうが、「これまたそのまま撮ってしまったなぁ〜」と、印象深かったりします。


再来週の土曜日には最新作「州議会」が上映されるようで、これも是非見たいな〜。


それから、来週土曜日に上映される「臨死」は、上映時間358分ですよ。この時間だけで「極道」というか「鬼」という気すらします。(その長い時間を感じさせない作り、ということなのでチャレンジしてみたかったのですが、私は都合で見にいけません。決して逃げたわけじゃないんですが:笑)